くらしお古今東西

静岡県と塩

静岡県の蒲原町(現静岡市)や浜名湖周辺では、江戸時代から明治末までは、入浜式や揚浜式による塩づくりが行われていました。

また江戸時代には、内陸の甲州向けの塩は、瀬戸内からまず清水港で陸揚げされ、それから富士川の水運をつかって運ばれました。

なお、戦前から昭和30年代まで、伊豆地区の複数の箇所で温泉熱を利用した塩づくりが行われていました。

塩を手に入れるための工夫

流下式による塩づくりの計画

江戸時代には、甲斐(山梨県)向けの塩は富士川の水運を使って運ばれていましたが、江戸時代末に、甲斐向けの塩をつくるため、富士川の河口部で流下式による塩づくりが計画されたことがありました。

参考文献:『日本塩業大系 近世(稿)』

塩づくりの工夫

ヨードの副産物としての塩づくり

ヨード(沃素)は、私たちが生きていく上で欠かせない微量元素のひとつです。戦前、現在の賀茂郡南伊豆町では、海藻からヨードの生産が行われていましたが、その副産物として塩づくりも行われていました。

なお、海外では、ヨード不足を解消するため、食用塩にヨードが添加されることがありますが、私たち日本人は、ヨードを含む海藻類をよく食べるので、塩にヨードを添加する必要はなく、ヨードは食品添加物としても認められていません。

参考文献:「追想 沃度副産塩」井上良之助(『そるえんす』№21)(※外部リンクが開きます)、『塩の事典』橋本壽夫

塩と暮らしを結ぶ運動推進協議会会員

全国塩元売協会会員

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