くらしお古今東西
大分県
大分県での塩
中世には、豊前の宇佐八幡宮や、豊後の由原八幡宮の神事用の塩をつくるための塩浜があったことが記録に残っています。
江戸時代以降、周防灘沿岸や現在の国東市、杵築市、佐伯市等に入浜式塩田が築造され、さかんに塩づくりが行われるようになり、塩田による塩づくりは昭和30年代まで続きました。また戦時中から昭和30年代にかけては、温泉熱を利用した塩づくりも行われました。
参考文献:『大分県塩業史』仲 定之
塩にまつわる人物
古庄安右衛門重信
号は拙翁。姫島の庄屋。島民の困窮を救おうと、寛延3(1750)年、1町5反歩の海面を埋め立てて塩田を築き、塩づくりをはじめました。塩づくりのほか、周防(山口県)から甘藷(サツマイモ)を導入し、ここでも島民の生計に寄与しました。
参考文献:『大分県塩業史』、『塩と碑文』水上 清
塩と暮らしを結ぶ運動推進協議会会員
全国塩元売協会会員
- 大分塩業有限会社