くらしお古今東西

宮崎県と塩

広大な干潟がないため、河川下流部の干拓地を利用した小規模な入浜式塩田がつくられ、近世から明治末まで、塩づくりが行われていました。

また、戦時中に、自治体が経営する入浜式塩田による塩づくりが始められ、昭和30年代まで行われました。

参考文献:『鹿児島地方局史』日本専売公社鹿児島地方局

塩の取引

塩宿

江戸時代、現在の串間市にあった高鍋藩では塩づくりが盛んで、他領から塩を買いに来る船や商人に宿泊所を提供するとともに、塩の売買を斡旋して手数料を得る「塩宿」が設けられていました。

参考文献:『鹿児島地方局史』

塩にまつわる習俗

乙女饅頭は塩無し饅頭

西南戦争のとき、西郷軍が負けて、熊本県との県境に当たる椎葉村の向山付近を逃げる途中、民家に入り、地元の乙女(女性)に饅頭を求めたという。政府軍が追走する中、地元の女性の人々は饅頭に塩を入れることを忘れたので、西郷軍は逃げながら「おとめがまんじゅは塩無しまんじゅ」と口々に言ったという。この文言は子供の鞠つきや遊びなどのときに口ずさんだという。

落合 功(青山学院大学経済学部教授)

参考文献:『塩俗問答集 常民文化叢書<3>』渋沢敬三編

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