くらしお古今東西

埼玉県と塩

内陸の埼玉県には、塩づくりの記録はほとんどありません。

江戸時代には、行徳塩(千葉)や江戸に運ばれた瀬戸内の塩(いわゆる「下り塩」)が、江戸から運ばれました。例えば川越方面には、荒川、新河岸川の水運を利用して川船で運ばれていました。

塩にまつわる習俗

塩地蔵

現在のさいたま市大宮区に、「塩地蔵」があります。昔、娘を連れた旅の途中、大宮宿で病に倒れた浪人がいました。医者の手当ても薬も利かず寝込んでしまった父親の看病を続ける娘の夢枕に、ある日地蔵様が現れ、塩断ちをするように告げました。娘が塩断ちをして地蔵堂に祈ったところ、父親の病は全快し、喜んだ親子はお礼にたくさんの塩を奉納し、その後、人々も塩を供えるようになったということです。

参考文献:『大宮の郷土史』佐藤利夫

 

馬の知恵

小川町での話である。塩俵を馬につけて川を渡ろうとしたとき、馬は水中深くに入って塩俵の中の塩を溶かしてしまった。これは、馬子が馬を虐待したためだといわれている。こうした話は各地で残されており、宮城県仙台市でも同様な話が残されている。

落合 功(青山学院大学経済学部教授)

参考文献:『塩俗問答集 常民文化叢書<3>』渋沢敬三編

塩と暮らしを結ぶ運動推進協議会会員

全国塩元売協会会員

 

日本特殊製法塩協会会員

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