くらしお古今東西

香川県と塩

江戸時代の後半には、坂出に大規模な入浜式塩田が築造され、坂出のほか詫間、宇多津等において、さかんに塩づくりが行われました。また小豆島でも、15、16世紀ごろからかなりの製塩が行われており、小豆島の塩は「島塩」と呼ばれていました。その後も、香川県は、昭和40年代まで、塩田による塩づくりの中心の一つでした。

参考文献:『香川の塩業のあゆみ』日本たばこ産業株式会社高松塩業センター

塩づくりの工夫

風を読む

今でこそ、塩作りは天候に左右されないが、入浜塩田の時は天候に左右された。雨天の時は鍬や桶などの手入れを行った。こういったことで、気象予想は重要であった。詫間町では、ヤマジカゼ(南風)が吹くと塩田上にあるキラレ(撒砂)上に塩が紫色に浮き上がったという。これを「シオノハナ」とか「カスノハナ」などと呼んだ。こうした、「シオノハナ」が浮かび上がると、雨が降りやすいという。また、この「シオノハナ」は春先に多く出るといわれる。

夏風のことは朝コチタマジと呼んだ。朝九時ごろにコチ(東風)が吹き、夕方に南西の風に変わると天気が安定するといわれ、コチ(東風)からキタゴチ(北東の風)やキタゴチからコチに変わると雨が降るといわれた。

落合 功(青山学院大学経済学部教授)

参考文献:「瀬戸内塩業生活誌」小池和貴(『民俗文化 第10号』近畿大学民俗学研究所)

塩にまつわる人物

久米栄左衛門通賢(みちたか)

安永9(1780)年生まれ。27歳で高松藩の測量方となり、財政難にあえぐ藩を救う手だてとして塩田の開発を行い、文政12(1829)年、坂出を代表する東大浜・西大浜を完成させました。技術的にも優れたこの塩田は「久米式塩田」と呼ばれ、その後の塩田開発のモデルとなりました。

参考文献:『塩と碑文』水上 清、坂出市郷土資料館展示解説

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