くらしお古今東西

山形県と塩

内陸部では、江戸時代に米沢の小野川などで塩泉を利用した塩づくりが行われたという記録があります。小野川では、塩泉を砂に撒いて乾燥させ濃いかん水をつくるという塩田法と同様の方法がとられていました。

また庄内地方の海岸では、明治期に枝条架や海水を直接煮つめる方法による塩づくりが試みられたことがあります。

New 塩にまつわる習俗

豆腐に塩

西村山郡河北町は、最上川の上流に位置する。穀倉地帯であるのみならず、江戸時代は紅花、現在はサクランボの産地として知られている。紅花は京都に運ばれたため、京都の文化が伝わり、三月の雛祭りは盛大なものとなる。

この地の葬儀の様子を紹介しよう。昔ほど仕来りに厳しいわけではないが、家族の一人が死去すると、しばらくの間、遺体を寝かしておき、火葬の前日に納棺の儀式が行なわれる。地元では、納棺のことを「ニッカン」と呼ぶが、納棺の訛りなのだろうか。このときは、集まった人々が遺体を丁寧にふき、死に装束を着させると共に、日ごろから愛着のあった帽子やカバンや杖なども棺桶に入れるようにする。そして蓋をして、この儀式は終わる。その日は、御通夜で棺桶の側で一日お守りし、翌日、火葬、告別式が執り行われる。

さて、この間の食事だが、肉や魚などは忌み嫌い、もっぱら精進料理である。とりわけ「ニッカンの儀」は夕方以降に行われ、そのあと参列者と共に食事をする。このとき、まず最初に口にするのが、豆腐と塩と酒である。このとき、豆腐に醤油をかけてはならない。これはお浄めの意味もあるようだ。いつから始まったかは不明だが、今も固く守られている風習である。

落合 功(青山学院大学経済学部教授)

塩にまつわる人物

榊原重兵衛・黒川隆恭
山形の士族。小野友五郎が千葉県の松ヶ島(現市原市)で操業していた枝条架による塩づくりを学び、明治12(1879)年、念珠関村(現鶴岡市)に同様の塩づくりの施設をつくりました。

参考文献:『大日本塩業全書 第二編』、『日本塩業体系 近代(稿)』

塩にまつわる祭事

沢庵禅師供養祭

山形県上山市では、“たくあん漬け”の創案者ともいわれている沢庵禅師の遺徳を偲ぶべく、毎年、沢庵禅師の庵・春雨庵で沢庵禅師供養祭が行われています。供養祭では昔ながらの方法でたくあんを漬け込む漬け込み式のほか、大根輪投げ大会や湯漬け沢庵の試食、山形県産沢庵漬けの販売なども行われます。

塩と暮らしを結ぶ運動推進協議会会員

全国塩元売協会会員

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