くらしお古今東西

群馬県と塩

内陸の群馬県には、塩づくりの記録はほとんどありませんが、明治期に、旧碓氷郡磯部町(現安中市)で塩泉による小規模な塩づくりが行われていた記録があります。

塩の道

群馬への塩の道

江戸時代には、行徳(千葉)などの「地廻り塩」や江戸に運ばれた瀬戸内の塩(いわゆる「下り塩」)が江戸から運ばれました。例えば高崎には、利根川、烏川の水運を利用して川船で運ばれ、大小の塩の問屋がありました。ただしこれらの塩は、さらに信州方面に主に運ばれたようで、碓氷峠を越えて信州から牛で運ばれてくる物資の帰り荷となったといいます。

一方、越後(新潟県)方面からも瀬戸内の塩が運ばれてきました。三国街道経由で永井宿(現利根郡みなかみ町)に届いた塩が、さらに新治(同前)、沼田(現沼田市)方面へ運ばれました。

参考文献:『日本塩業大系 近世(稿)』『塩の民俗学』亀井千歩子、『塩の道を探る』富岡儀八

塩にまつわる祭事

火渡り神事のときに塩をまく

火渡り神事が行われた日野村(現藤岡市)では焚き木を積み並べて点火した。火渡り神事ではこの焚き木を渡るのだが、燃え上がった火に塩を撒くと火が次第に鎮まる。このときに火渡りをおこなうのだという。

落合 功(青山学院大学経済学部教授)

参考文献:『塩俗問答集 常民文化叢書<3>』渋沢敬三編

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