ロシア連邦ペルミ地方(ヨーロッパロシアとシベリアの分水嶺・ウラル山脈の南西部)にソリカムスク(Solikamsk)という都市がある。市名をあえて和訳すると「カマ川(ヴォルガ河の支流)沿いの塩の町」であり、その名の通り塩の産地として古来有名だった。ソリカムスクでは、ロシアの他地域と比べて高濃度(およそ12~15%)の塩泉を利用した塩作りが行なわれており、生産効率が良く充分な収益を確保できたという。ソリカムスクを含むこの地域一帯で、16世紀以降、塩業を経営していたのが、肉料理(ビーフストロガノフ)の由来になったともいわれるストロガノフ家であった。

ストロガノフ家といえば、シベリアの毛皮交易により多額の利益を上げたことで知られている。実際のところ、ストロガノフ家に莫大な財産をもたらしたのは毛皮である。だが、ストロガノフ家がカマ川流域で従事していた製塩も、同家にとり重要な収入源であった。また、塩の取引をきっかけとしてウラル山脈周辺に暮らす諸民族と(必ずしも平和的・友好的ではないものの)関わりを持ったことが、シベリア進出の足掛かりになったという。こうした点を鑑みると、ストロガノフ家がロマノフ朝時代のロシアにおいて、政治経済から文化芸術に至るまで大きな影響力を持つことができたのは、塩のおかげといっても過言でない。

ピョートル大帝治世下の1700年に勃発したスウェーデンとの戦い、いわゆる北方戦争の費用をまかなったのはストロガノフ家といわれている。この功績により同家の当主は男爵の称号を得て貴族となった。その後、子孫は、さらに上の爵位を与えられたり、幹部将校や政府高官を代々務めている。一族のなかでもとりわけ著名な人物としては、パーヴェル・ストロガノフが挙げられよう。パーヴェルは、皇帝・アレクサンドルⅠ世のもとに創設された秘密委員会のメンバーのひとりとして、農奴解放等の改革を推進した。

パーヴェルの父であるアレクサンドル・ストロガノフは、絵画や稀覯本などのコレクターとして知られている。アレクサンドルは画家や作家と交流し、彼らに対する援助も行なった。のちには、高い文化的教養が評価されロシア芸術アカデミーの総裁に任命されている。アレクサンドルの蒐集した美術品は、1917年のロシア革命までペテルブルグにあるストロガノフ邸で展示されていた。この邸は、ソ連時代、ミュージアムとしての機能を失っていたが、現在は国立ロシア美術館の分館となっている。

ストロガノフ家繁栄の礎となったカマ川沿いの地域では、1972年まで製塩工場が操業を続けていた。ソリカムスクの塩業史博物館には、工場の建物の一部が保存されており、往時の様子を知ることができる。

千原義春(青山学院大学大学院、ロシア語通訳協会職員)

 

参考文献:『パンと塩 ロシア食生活の社会経済史』R.E.F.スミス・D.クリスチャン(鈴木建夫・豊川浩一・斎藤君子・田辺三千広訳)、”1000 let russkogo predprinimatel’stva. Iz istorii kupecheskikh rodov(ロシアにおける商業活動の1000年-実業家一族の歴史-)”  O.Platonov

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