ドイツ北部の内陸の町、リューネブルクは16世紀まで塩づくりでさかえた。この町でつくられた塩は、市街を流れるイルメナウ川を北上し、さらに陸路をたどってバルト海沿岸の町、リューベックまで運ばれていた。塩はリューベックでとれるニシンの保存に使われた。塩が「白い黄金」と呼ばれた中世ヨーロッパにおいて、製塩業がもたらした富は莫大なものだった。製塩は1980年以降行われなくなったが、イルメナウ川には塩輸送に使われていた「コッゲ船」の復元模型が繋留されていて、往時の面影を伝えている。

リューネブルクの塩づくりは、塩分を含む地下水をくみあげて、それを煮つめて塩にする方法をとっていた。市内には、1920年代に建設された釜屋を再利用した「ドイツ塩博物館」があり、地下水をくみあげる井戸や塩水を煮つめる釜などを見ることができる。ヨーロッパでは、地下の塩水や、それが地上に湧き出た塩泉から塩をつくる方法は珍しくないが、リューネブルクには塩泉が発見されたきっかけとして、次のような言い伝えがある。

今から1000年以上前に、狩人が動物の足跡を追っていると、雪のような白い毛におおわれたイノシシを見つけた。イノシシの毛に触ってみると、毛を覆っていたのは塩の結晶だった。狩人がイノシシの来た道をたどってみると水場があり、その水をなめてみると塩辛い味がしたというものである。

この言い伝えから、リューネブルクではイノシシは「ザルツ・ザウ(直訳すると塩豚)」と呼ばれ、町に繁栄をもたらしたシンボルとして愛されている。市庁舎の「書記の部屋」には、カゴに入ったイノシシの骨が吊り下げられている(写真1)。また、市街の随所で、身体にさまざまな絵柄のペイントがほどこされたイノシシの像を見ることができる(写真2)。

写真1 市庁舎内にある豚の骨
写真提供:Lüneburg Marketing GmbH

写真2:ザルツ・ザウの像
写真提供:Lüneburg Marketing GmbH

青木 然(たばこと塩の博物館学芸員)

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