秦の始皇帝は、春秋・戦国時代を終わらせ、初めて古代中国を統一しました。その秦を倒したのが漢(前漢)です。前漢の第七代武帝は、さらなる領土拡大を図り、各地に外征を行いましたが、特に力を入れたのが北方の匈奴の征服でした。そして、その戦費調達策の一つとして導入されたのが、塩と鉄の専売でした。

武帝は、儒家のとなえる徳治主義を地勢の建前としましたが、実際には厳しい統制政治を行い、それを支える官僚を広く民間から登用しました。その一人が商人出身の桑弘羊(そうこうよう)で、経済感覚を買われて「大司農」(経済長官)にまで昇進しました。

塩、鉄に続いて酒も国家による専売とした桑弘羊は、さらに、地方に特別局を設けて地域特産物を供出させ、高値の地域に販売したり(均輸法)、首都に全国の物資を集めて独占管理し、値上がりすると売り、値下がりすれば買い付けを行う(平準法)などの政策も取り入れました。表向きは物資の安定供給と物価の安定でしたが、実質的には国家自らが商業利潤を独占し国庫を賄うものでした。

武帝の死後、次の昭帝が人民の悩みを集めたところ、塩、鉄、酒の専売廃止の強い要望が出たため、政府においてこれらの専売制の是非について論争が行われました。

専売を批判した側は、儒家思想に基づく農本主義により、政府自ら営利を追求することは人民の心を卑しくすると主張し、一方、法家の思想に基づく政府側は、塩や鉄の価格が統一され、また業者による利益独占が排除されたと反論しました。

後に、この論争の記録が『塩鉄論』として編集され、今に伝わっています。

日本でも、平成9(1997)年まで塩は専売制でした。ただし、当初は利益を目的としたこの制度は、すぐに利益を目的としない「公益専売」に転換しており、この点では古代中国と異なります。一方、専売制度下で塩の価格の地域間格差が解消されたことは、古代中国と共通しています。

 

参考文献:『塩鉄論』山田勝美

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