インドネシア、塩と鯨と椰子の物語(最終回)
最終回 ヤシとマングローブと塩
今シリーズ最終回は自然環境と製塩の関わりである。
東部フローレス地域と西ティモール南西部でのロンタールヤシの有用活用と同様に、ティモール島北岸地域ではゲワンヤシ(※1)があらゆる場面で使われる。掌状複葉の小葉はロンタールヤシに似るが、はるかにしなやかで破損しにくく耐久年数が長い特徴があり、編みやすく、編み材として優れている。葉や葉柄をパネル状に編み、家屋の壁や扉などに使用する。葉柄も壁や垣根などの建築材として使用される。家屋の屋根を葺くのもゲワンヤシである。ティモール島北岸に点在する伝統的製塩地では、採鹹(さいかん※2)装置や塩焚小屋の屋根、結束材、縄など、すべてに耐久年数が長いゲワンヤシが用いられている。
① ゲワンヤシで作られた家屋。壁はゲワンヤシの葉柄
② ゲワンヤシ(右)、葉で編んだパネル(左)
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製塩村ハリバダ集落はティモール島の北海岸に位置し、東ティモール民主共和国との国境から4km西に位置している。サブ海に面した広大なマングローブ干潟は国境沿いまで続き、その西端で伝統的な製塩が行われている。乾季だけ製塩を行って販売し、雨季は農業に従事する半農半塩の集落である。
当製塩地の特徴として、干潟に海水汲み場用の井戸を掘っていることがあげられる。これには製塩地干潟の自然環境がかかわっている。鹹砂(かんしゃ※3)採取場の干潟は奥行き50mほどしかないが、その先にはマングローブが繁茂しているうえに海岸まで300~500mもの距離があるためにアクセスが困難なことがその理由である。井戸は直径1m未満で深さは3~4m。底に溜まった海水をロープで結ばれたバケツで汲みだす。各戸がそれぞれ1箇所を確保している。
当地では入浜系塩尻法(※4)による製塩が行われている。採鹹装置は塩焚小屋の干潟側の屋外に設置されている。鹹砂は干潮時にマングローブ干潟で採砂し、採鹹装置周囲の屋外に山にして貯蔵する。同様に、採鹹後の残滓も採鹹装置の干潟側正面に廃棄され山になっている。採砂作業はほとんどが女性の仕事である。
① マングローブと鹹砂
② 積み上げられた鹹砂(手前)、採鹹装置(奥)
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採鹹装置は溶出装置と濾過装置から出来ている。溶出装置の大きさは1.9m四方の矩形に枠を組み、壁面を粘土で固め、底にゲワンヤシ葉製マットを敷いたものである。底部にはかなり大粒の白砂を一面に敷き詰め、その上に籠12~13杯の鹹砂を入れ、バケツ6杯分の海水を少しずつ注ぐ。
濾過装置は溶出装置の下にゲワンヤシ葉製パネルを2~4枚重ねて組み合せている。一番下のパネルは葉柄の一部を切り残して鹹水が滴るパイプの役目を負わせ、鹹水が容器に落ちるように工夫している。鹹水容器は刳りぬいた丸木、丸木舟、プラスチック製バケツなどが利用されている。鹹砂は1回だけ使用し、周りに破棄する。
煎熬(せんごう※5)にはドラム缶を利用して自作した長方形の釜を使用する。3時間ほど炊き、塩が結晶すると横に置いた籠に直接入れたままで放置する。燃料の薪は後背地から自家採集する。1日に2回煎熬して50 kg袋の塩を生産し、週に1度ほど5~6袋の塩を県都アタンブア町の常設市場までバスで運び販売する。
① 採鹹装置 ② 底に白砂を敷き詰める
③ 鹹砂を入れる ④ 井戸から海水を汲み上げる
⑤ 採鹹装置に海水を注ぐ ⑥ 濾過装置から鹹水が滴り落ちる
⑦ 鹹水を炊く ⑧ 町の市場で販売
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製塩村マネモリ集落は、東ティモールの首都ディリ市の中心地から西に約18kmの距離に位置している。立地はサブ海に面した湾に1.5 kmにわたって広がるマングローブ林の西端岬のすぐ東側、河口域左岸に位置している。集落のうちで製塩に利用されている土地はマングローブ干潟で、奥行き300m、幅400mで面積12haほどである。製塩の採鹹装置は西ティモールのハリバダ集落のものに近い。乾季に鹹砂を採集して製塩をおこない、雨季には貯蔵した鹹砂を使用して塩を生産している。
マングローブ干潟を鹹砂採取地として利用する
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当地でも入浜系塩尻法による製塩が行われている。採鹹装置・煎熬方法もほぼハリバダ集落と同じである。当製塩地の特徴として、海水汲み用と鹹水運搬用の容器に竹筒を利用していることがあげられる。竹筒は直径11~13cm・長さ2.7~3.5mで容量約20ℓ、採鹹1回分には6~7本分の海水が必要になり、煎熬1回にも同量の鹹水を使用する。竹筒へはプラスチック製容器ですくって入れる。海水汲み場は干潟内を掘り下げた池が数箇所設けられ共同で使用している。
① 鹹砂の採取 ② 籠に鹹砂を入れて内陸側に保管する
③ 6月から10月末まで鹹砂を採取して保管し煎熬もおこなう
11月から5月の雨季は保管した鹹砂を使用して煎熬する
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① 海水の採取
② 干潟内に海水を汲む池を掘り、容器で汲み竹筒に入れて運搬する。池は数箇所を共同使用する
③ 竹筒の容量は約20ℓ。竹筒6本分で一釜を炊く。採鹹装置に直接注ぐ ④ 採鹹装置
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もうひとつの特徴は、ハリバダ集落では塩を直接籠に入れたままで放置していたが、ここでは苦汁(にがり)を抜くための工程が加わっていることである。煎熬釜の横に穴を堀ってその上に木を渡した設備があり、籠を木の上に置いて煎熬したばかりの塩を入れることで、苦汁が抜けて穴の中に溜まる仕組みである。燃料とする薪は後背地から自家採集し、1日に50 kg袋2袋の塩を生産し、ほとんどは首都ディリ市からの買い付け業者に直接販売する。
① 煎熬。煎熬釜の横には穴を掘ってその上にスノコ板を渡し、
籠を置く。これに煎熬した塩を入れ、苦汁を抜く
② 1日の塩の生産量約100kg
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熱帯の東部インドネシアの自然環境のなかでは、熱帯性の自然の海岸地形を活かした製塩が、各島や各村に適した形態を採択して行われている。ことに特徴的な製塩法は、マングローブ干潟という自然地形を利用し、乾燥気候という特性を活かした入浜式塩田の原初的段階といえる製塩である。塩田を拓かずに、マングローブ干潟で塩の微細結晶が付着した砂泥を集め、それを溶出した鹹水を煎熬する方法である。マングローブは熱帯や亜熱帯の河口・内湾・沿岸などの海水と淡水の混じり合う汽水域に生育する植物であり、マングローブが生育する立地と製塩に適した土地は深い相互関係がある。
マングローブ干潟での製塩は、塩田法というよりは「天然の塩田」からの鹹砂採集に近い、粗放製塩であることが確認できた。そこで採集された鹹砂から簡単な装置によって鹹水を得さえすれば、煎熬工程を省いて太陽熱だけで蒸発させる天日製塩も可能であった。
東部フローレス地域・ティモール島での製塩地は、乾季にのみ機能する一時的な環境であることも考慮に入れておきたい。乾燥気候にある東部インドネシアでは恒常河川は少なく、乾季の渇水期には河床は道路として利用されている涸れ川である。しかし、雨季に台風時のような豪雨が集中すると流路は奔流をなし、河口域の干潟はまったく製塩のできない土地になる。雨季に製塩ができないのは日照時間が短いだけでなく、「天然の塩田」そのものが消滅してしまうほど環境が一変する過酷な土地だからであり、自然環境こそが当地域で製塩が営まれる最大の要因となっている。
江上幹幸(えがみともこ)(元沖縄国際大学教授)
参考文献 江上幹幸「東部インドネシアの製塩-琉球列島における製塩考察のための民族資料-」東南アジア考古学会『塩の生産と流通-東アジアから南アジアまで-』雄山閣 2011年
注1 東ヌサトゥンガラ州・東ティモールではゲワン、インドネシア語ではゲバンと称する
注2 採鹹(さいかん):鹹水(かんすい(濃い塩水))を採ること
注3 鹹砂(かんしゃ):塩分の付着した砂
注4 入浜系塩尻法:干満差を利用して干潮時に鹹砂を集めるが、鹹水を採取した後の鹹砂残滓をその場に廃棄して再使用しない略奪的な方法
注5 煎熬(せんごう):煮詰めること