生贄になるアステカの塩の女神(メソアメリカ)
16世紀にスペイン人征服者たちが新大陸にやってくる以前、アステカ人はテノチティトランの都を中心に、メソアメリカの広い地域に支配力を及ぼすアステカ王国(A.D.1325-1521)を打ち立てていました。テノチティトランはメキシコ盆地の湖の中央に作られた巨大な人工の島であり、湖岸とは数本の堤道でつながれていました。これらの堤道のひとつは、島の東側の塩分を多く含んだ湖水を、島の西側の淡水と混ざらないようにする役割を果たしていました。こうして得られた淡水は飲料水や農業用水に用いられ、塩水の方からは塩が作られました。
アステカ人にとって塩は、トウモロコシやトウガラシとならび、食生活に欠かせない物資でした。さらに彼らは塩を、戦闘服に染み込ませてその防御力を高めたり、リュウゼツランの樹液と混ぜて外傷薬にしたりするなどの用い方をしていました。その重要性ゆえにでしょうか、彼らは塩をつかさどる女神「ウィシュトシワトル」を、日々の生活に関わる神として篤く信仰していました。
さて、テノチティトランでは一年を18の「月」に分け、各月に特定の神々の祭祀を行っていました。第五番目の月(5月5日~5月22日)には、天地創造の神であるテスカトリポカ神の祭祀が行われました。この祭祀の最終日には、テスカトリポカ神(の化身である若者)は祭壇の上で生贄となって死ぬのですが、ウィシュトシワトル(の化身である若い女性)は、花の女神、トウモロコシの女神、大地の女神とともに、最後の数日間をこの神とともに過ごし、その心を慰める役割を果たしました。
また第七番目の月(6月14日~7月3日)には、テノチティトランの塩作り職人、塩売り、塩運搬人たちが主体となってウィシュトシワトルを主祭神とする祭祀が行われました。この祭祀ではウィシュトシワトルの装束(波の模様のついた上着、花で飾られた杖、ケツァル鳥の羽根の帽子など)を身に着けた若い女性が、塩作り集団の女性たちとともに10日間にわたって歌い踊ります。最終日には、この女たちは、戦争で捕虜となった敵の戦士たちと夜通し歌い踊り、夜が明けると水神の神殿に赴きます。そこでウィシュトシワトル(の化身である若い女性)は神官らによって台の上に横たえられ、その胸に黒曜石のナイフが突き立てられ、心臓が取り出されて、その血液が天地に捧げられます。
創造の神、太陽の神、トウモロコシの神、そして塩の神。アステカ人の祭祀では、生贄となって自らの命を捧げるのは、しばしばその祭祀で主祭神となる神様自身なのです。
岩崎 賢(南山大学外国語学部講師)
参考文献:『アステカ王国の生贄の祭祀 血・花・笑・戦』岩崎 賢