アフリカ熱帯林の灰塩
塩と言えば普通は食塩(塩化ナトリウム)のことを思い浮かべるだろうが、世界には歴史上、海水塩や岩塩に簡単にアクセスできなかった人々も多くいる。彼らは、どのようにしてミネラルを摂取してきたのだろうか。この項では、アフリカ熱帯林で利用されている、植物の灰から作った塩(以下「灰塩」[注1])について紹介してみたい。
私が灰塩についてはじめて知ったのは、最初にアフリカに行く前に、調査対象であるコンゴ民主共和国のモンゴという人々について調べていたときだった。100年以上前に書かれた論文に、灰塩の作製過程が詳しく述べられていた。カサイ河地域のモンゴ人は、灰塩を作るとき、村を出て沼地の近くにキャンプを作り、そこに生えるsalt grass(種名は不明だが、イネ科の植物ではないかと思われる)を大量に刈り取る。それを乾かした後、炉で燃やして灰にし、その灰を直径2m、高さ3mにもなる巨大なじょうごに詰め込んで上から水をかける。数日後、ミネラル分が溶けた水がしみ出してきて、下に置いた壺に溜る。その壺を火にかけ、水分を蒸発させると、灰塩の塊ができてくるのである。取れた灰塩は親族内で消費されるほか、市場で売られたり、貨幣として使われたりもしたという。
私のコンゴのフィールドでは、そういった大規模な灰塩作りはおこなわれてなかった。しかし日常の調理場面での灰塩作りは観察することができた。アブラヤシの花の部分を乾かし、焚火で燃やす。できた灰を小さな漉し器に入れ、上から水をかけると、engange と呼ばれる、灰塩の入った液体が取れるのである。それは、「mongwa ya bokoko 祖先の(あるいは伝統的な)塩」であると説明される。舐めてみると、灰独特のいがらっぽい味がする。もちろん現在では、市場で岩塩を買うことができ、通常の調理ではそれが使われるのだが、engange はキャッサバの葉を煮るときなどに用いられる。その方が食塩を入れるよりおいしいのだという[注2]。また大都市近郊の市場を調査しているとき、大きな袋に詰められたアブラヤシの灰を見たことがあるので、灰塩は商品としても流通しているようである。
灰塩には、カリウムやカルシウムが多く含まれているが、ナトリウムの含有量は少ないことがわかっている。塩の摂取は人間の生存にとって不可欠だが、食塩を過剰に摂取すると高血圧になりやすいことが知られており、その要因は食塩中のナトリウムとされている。したがって、灰塩は高血圧になりにくい塩だと言うことができる。1990年代に書かれた論文には、ヨーロッパで灰塩を食塩の代わりに使おうという試みがなされたが、重炭酸ナトリウムが含まれているせいで味が悪く、うまくいかなかったとの記載があった。ところが現在では、Webを検索してみると、vegetable ash とかvegetable salt という項目でたくさんのページがヒットする。灰塩は健康的な食品として、ある程度の地位を固めつつあるようだ。過去の遺産であるかのように見えた灰塩も、人類の健康を支える塩として、復活する可能性を秘めているのである。
木村大治(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)