ハルシュタットとザルツブルク
ハルシュタット、まるで魔法の呪文のような魅惑的な響き。この言葉のハルは塩で、シュタットは「場所」、つまり「塩の場所」という意味の地名です。場所はオーストリアのほぼ中央部、かつてのハプスブルク帝国における「塩の御料地」だったザルツカンマーグート地方にあります。湖と山塊の間にある小さな町ですが、この地域一帯が「ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観」としてユネスコの世界遺産に登録されるほど風光明媚で、歴史的にも重要です。何が重要かというと、もちろん「塩」、古くは約7,000年前から岩塩を産してきたからです。
約2億年前、アルプス造山運動により古地中海(テチス海)の一部が陸地化したとき、陸封された海が干上がって塩が析出し、長い年月をかけて地層中で押し固められて岩塩になりました。それを新石器時代の人々が粗末な道具で発掘し始めました。やがて青銅器や鉄器を使うようになると、ハルシュタットは当時のヨーロッパ文化の中心地になりました。ハルシュタット文化です。紀元前3世紀には東はトルコから西はイギリスやアイルランド、スペインにまで広がった一大文化、これを担ったのは古ケルト人だったそうです。現代のケルト文化に通じる幾何学的な紋様が施された食器で彼らが摂った食事は、もちろん、文化の源泉たる塩を含んだパワーミールだったことでしょう。
ハルシュタット産の塩はいろいろな「塩の道」で各地に運ばれましたが、その一つは水運でした。特にドナウ川の支流の支流であるザルツァハ川(塩の川)は重要で、その水上交通の要衝がザルツブルク(塩の砦)でした。塩が「白い黄金」と呼ばれた中世ヨーロッパで最大の要塞を擁し、ヨーロッパ宗教戦争(カトリック改革)の中心地として17世紀にたくさんのバロック建築の教会が作られたことで「ザルツブルク市街の歴史地区」も世界遺産に登録されています。あっ、もちろん「モーツァルトの生家」も世界遺産登録に貢献しました。
当時のザルツブルク人のご多聞に漏れず、モーツァルトもまたグルメ(食通)かつグルマン(食いしん坊)だったそうです。彼の人生を描いた戯曲「アマデウス」の名の通り、甘デウス(デウスはラテン語で「神」の意)だったかもしれません。しかし、彼の好物はレバー団子とザワークラウト(キャベツの漬物)だったとも言われていますので、けっこう「塩デウス」だったかもしれませんね。
長沼 毅(広島大学大学院統合生命科学研究科教授)