農家の休憩と漬物

日本列島の食べものには塩分が多すぎる、という話をよく聞く。味噌、醤油、漬物など、たしかに、デスクワーカーにとっては多すぎるかもしれない。だが、汗で塩分を奪われる肉体労働者にとっては、塩の不足は生命の危機に直結する。

島根の実家は米作農家だが、農作業の合間に休む時間を「たばこ」と呼んでいた。だいたい10時と15時。私の祖父母も父母もたばこを吸わないが、愛煙家の近所の農家が家に訪れたときは、ガラス製の吸い殻いれがいつも出された。休憩中の縁側にはいろいろな食べものが並ぶ。農作業は今と比べものにならないくらい疲れるものだった。田んぼは小さなものが分散してあって、そこまで行くのに一苦労。機械を入れるのも大変だった。夕方に牛小屋から牛を出して水を飲ませ、小屋の藁を入れ替えるまで、文字通り戦場である。

汗まみれの真っ黒い顔が次々に麦茶をがぶ飲みする。私も「たばこ」の時間が楽しみだった。子どもたちもそのおこぼれに預かることができるからだ。甘いものも多い。小さな袋に入った砂糖菓子や豆菓子は必ず出たし、麦チョコやキャラメルなども記憶に残っている。夏はアイスキャンディーも少なくなかった。稲刈りの季節は毎日のように、餡子をたっぷりつけたおはぎが登場したように記憶している。おそらくおはぎは、あらかじめたくさん作っておいて、それを廊下に並べていたように記憶している。農家が最も忙しい秋の貴重な栄養源だったのだと思う。夏はスイカやブドウもよく登場した。たまに、もらいものでメロンが届くとごちそうだった。スイカはうちでも近所でも取れるので、もらったり、あげたりの交換のしあいとなる。

甘いものばかりではない。しょっぱいものもたくさん登場した。醤油であぶったとうもろこしはごちそうだ。そして、年間変わらず登場するのが漬物だった。草刈りの仕事を終えた朝ごはんはすでに活況を呈している。味噌汁、カレイを焼いたもの、漬物、あごの焼き、卵焼きなどが出て、何杯もおかわりの声が飛び交う。漬物や煮しめは冷蔵庫ではなく、ずっと、ちゃぶ台の上に置いてあって、ハエを避けるカバーがかけてあった。ちなみに、隣が牛小屋なので、私の青春の二割くらいはハエとの戦いに費やされた。

ウリやキュウリやナスの漬物が、あるいは場合によっては煮しめも、朝ごはんのときのまま縁側に出され、ラップが剥がされる。爪楊枝で漬物をとり、ボリボリ噛んで、麦茶で流し込む。当時は、漬物が「たばこ」にないとなんだか物足りないと感じていたと思う。「よし」と祖父が両手で両膝をポンと打って立ち上がる。「たばこ」の終了の合図である。

「たばこ」を卒業して、もう25年が経った。冷や汗はかいても汗はかかないデスクワークの日々、両手を縁側について午後の天気を占い、スイカをかじり、漬物を爪楊枝で刺して、体力が漲ってくるのを待っていたあの時間は、それでもまだ頭から消えたことがない。

藤原辰史(京都大学人文科学研究所准教授)

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