塩にぎり

人生最後に食べたいものを一つあげろといわれたら、迷わず、「塩にぎり!」と叫ぶ。

人生最後のことだから、できたら、めしを新米のつきたてにしてほしい。

筆者は、新潟県南魚沼市の産出であるから、魚沼産コシヒカリの新米なら最高だけど、そこまでゼイタクはいわない。

うまくてたまらない塩にぎりの記憶は、3歳か4歳の頃までさかのぼることができる。その頃はコシヒカリではなかったはずだ。昭和18年生まれだが、「戦後の飢え」を知らずに育った。とはいえ、実家は農家ではなかったし、3、4歳の頃は、米が十分にあったわけではなく、さつまいもやじゃがいもをよく食べた。じゃがいもの蒸かしたての皮をむいて、塩をチョチョッとつけて食べるのも、なかなかうまかった。

小学校にあがる頃には、毎日のように、にぎりめしがおやつだった。どんなにうまくても毎日が塩にぎりでは飽きる。味噌にぎりのこともあったし、少し手間をかけて、醤油をつけて焼いたにぎりのこともあった。

しだいに米がたくさんとれるようになり、米の味について大人たちがアレコレ評定しているのをよく耳にするようになったのは、中学生になった頃だろうか。

新米がとれると、おぼんにどっさり盛った塩にぎりを大人たちが囲み、これはドコソコの川の上(かみ)の田んぼだとか、これは西の山側だとかいいながら、にぎやかに食べた。米の味が一番よくわかるのは塩にぎりというわけなのだ。大人たちは、興奮し、これ以上ない笑顔で機嫌がよかった。

筆者も大人たちのあいだから手を出して食べた。塩にぎりの、興奮するほどのうまさを身体にシッカリきざんだのは、その頃だろう。

塩ジャケの皮をあぶって、米のめしを何杯も食べた。たらこの表面が塩で白くなるほど焼いたもので、米のめしを何杯も食べた。大いに楽しんでいたのだが、じつは、最近は老化の進行で、それができなくなっている。老化とは、そういうことでもある。さみしい。そして、ますます、塩にぎりが思い出されてならない。

新米の季節になると、故郷の人たちが、こんなにうまいものはないと、かつての故郷の大人たちと同じように、陽気に笑いほおばっている様子が、インターネットで見られる。大げさでもなんでもない、ほんとうなのだ、こんなにうまいものはない。こちらは口中に唾があふれ、拷問にあっているようだ。大いに共感しながら、それは、うらやましいぐらい若々しく明るく健康な文化であると思うのだった。

遠藤哲夫(フリーライター)

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