日本料理の塩加減
日本料理の味わいの中心にあるのが、うま味である。うま味を意識して用いる点で日本料理は世界の料理の中で異彩を放っている。
昆布のグルタミン酸に鰹節や椎茸などの核酸を合わせて、異次元とも言える相乗的なうま味を引き出す技こそが日本料理の奥義であると私は思う。
うま味が日本人によって発表された当初は、新しい味覚の発見に対して海外の研究者から様々な反論や疑念の声が上がり、特に既存の味覚である塩味でうま味は説明できるのはないかという声があった。
日本の味と匂い分野の研究の草分けである元北海道大学教授栗原堅三氏は、塩味の感覚を化学的に麻痺させても、うま味の相乗効果は何ら影響を受けないことを示し、うま味は塩味とは異なる新しい味覚であることを証明した。
うま味と塩味は味覚としては異なる。しかし、料理のおいしさと塩加減には深い関係があることは明らかである。日本料理の真髄であるうま味も、塩加減を無視しては成り立たない。塩加減は単にうま味を増強するものではなくて、もっと高い次元で日本料理の美味しさを決定づけているものであることを知る機会があった。
出汁の研究に興味を持ち始めた頃、京都の有力料亭3軒から、お店の看板ともいうべき一番出汁を頂いて塩分濃度を測定したことがあった。出汁の塩加減は企業秘密なのかもしれないが、いずれのご主人も私の務める大学院の社会人学生であったので、教授の多少の無理も通る。塩分の濃度測定結果を見て驚いた。示し合わせたように皆0.64パーセント前後なのである。ご主人同士の談合などはないという。日本人の好む一般的な吸い物や味噌汁は0.9パーセント前後であるから、料亭の一番出汁の塩分濃度はかなり薄い。しかし、これに塩を足したいとは全く思わないほど満足感と広がりがある。もちろん、昆布の品質や、具材の有無を含めた出汁の用途によってこの数字は微妙に変わるらしいが、うま味を安定して最大に引き出すには絶妙と思われる出汁の塩加減を、老舗の料亭は科学実験に先行して実現している。
学生、いや、料亭のご主人たちは、「塩味を足すために塩を入れるのではありません。出汁の味わいの輪郭がきっちりと決まる瞬間があるのです。」と口を揃える。うま味の輪郭が鋭く定まった塩加減の出汁は、さまざまな食材の味わいを邪魔することなく、引き立てる力があるという。そして、この出汁の味わいがお店の料理全体の調和を創り上げる。
化学的な味覚の次元を超えた、日本料理の伝統の奥深さを垣間見た思いであった。
伏木 亨(龍谷大学大学院農学研究科教授、和食文化国民会議会長)