好塩生物「ハロファイル」
生物は塩(塩味)を求めつつも高塩分は忌避します。ところが「高塩分が好き」という生物がいます。英語でハロファイル、日本語で「好塩生物」と呼ばれる生物です。ハロファイルhalophileのhalo-は「塩」で-phileは「好き」。これに因んだ学名にハロフィルスhalophilusがあり、この名を持った生物は、たとえば、中央アジアの塩湿地に自生するアヤメ属(アイリス属)の一種、アイリス・ハロフィラがあります(ハロフィラはハロフィルスの女性形)。また、ジュゴンが好んで食べるウミヒルモはハロフィラ属の海草です。この他の例もありますが、ただ、そのほとんどは微生物。身近な例だと、醤油を作るときの乳酸菌テトラジェノコッカス・ハロフィルスがあります(市販の醤油は微生物を除去していますので入ってません)。
世界には多種多様な好塩微生物(好塩菌)がいます。海水を濃縮して塩を採る塩田にいる「高度好塩菌」は飽和塩水でも生きられる一方、ふつうの海水や淡水では生きられないという弱点もあります。それに対して、真水から飽和塩水まで、どんな塩分(塩濃度)でも生きられる本当にスゴイ好塩菌がいます。その代表例はハロモナス・バリアビリスという広範囲好塩菌(広塩菌)でして、学名のハロ(塩)モナス(菌)・バリアビリス(可変)は塩分によって細胞の大きさが変化することから付けられました。
広塩菌ハロモナス・バリアビリスはどこにでもいますが、塩分がゼロから飽和まで大きく変動する極限環境にもいます。たとえば、海底火山の高熱と高圧で海水が超臨界状態に達し、超臨界水は塩分ゼロの淡水、亜臨界水は高塩水になりつつ海底の割れ目から交互に噴出するところ。そこでは淡水と高塩水に交互に曝されます。また、南極大陸の海岸沿いには飽和塩水の塩湖がありますが、夏季に雪融けの淡水が入るところでは、やはり淡水と高塩水に曝されます。僕は海底火山と南極の両方からハロモナス・バリアビリスを採ったことがあります。
2010年にハロモナス属の新種ハロモナス・ティタニカエが報告されました。ティタニカエtitanicaeという学名はなんと客船タイタニック号に因んでまして、1912年に沈没した船体から垂れ下がる“赤さびのつらら”から採れた広塩菌です。どうやら ハロモナス・ティタニカエは塩だけでなく鉄も好きで、タイタニックの船体を溶かして“食べる”ことで赤さびのつららを作っているようですが、その詳細はまだ不明です。ただ、あと20年ほどで船体のほとんどが溶けて赤さびの塊と化すようでして、海底での沈没船処理の観点からハロモナス・ティタニカエの働きが注目されています。
長沼 毅(広島大学大学院統合生命科学研究科教授)